#14 星がめぐる夜の旅

雪のたより/暗く透明な空/星がめぐる夜の旅
柊有花 2025.01.13
誰でも

こんにちは。こんばんは。イラストレーターで詩人の柊有花です。

年が明けましたね!新しい年を迎えて半月ほどたち、みなさんがこれを読んでくださるころにはすこしずつ通常モードに切り替わっているころかもしれませんね。

最近は雪のたよりもときどき聞かれるようになりました。みなさんの地域はどうでしょうか。わたしが住んでいる神奈川はまだ雪は降っていませんが、ここ数日の寒波でぐっと冷え込みました。布団からすこしはみ出す肩が冷えるようになって目が冴えてしまうので、眠りにつくまでのあいだ暖房をつけています。今日の夜から毛布を一枚増やして、ゆっくり眠れたらいいなあと思っています。

寒いのは苦手ですが、白い息を吐きながら冬の夜空を見上げるのは好きです。月や星を眺めていると、それまでのざわざわした心がすこしだけ落ち着くように思います。天体をいだく夜空は暗いのに透明でしみじみとうつくしい。暗い色の中にもいろいろな色が重なっていて奥行きがあることを感じます。それぞれの色がはっきりと見えなくても、色が重なることによってうつくしさが形作られている。

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星がめぐる夜の旅

今日は夏の夜中に星を見ながら書いた、「マタニティ・ブルー」という文章をここに転記したいと思います。詩画集『旅の心を取り戻す』のB sideとして、ごく個人的な感情の動きを書き留めたテキストです。『旅の心を取り戻す』が光だとしたら、このB sideは影のようなもの。そのふたつがあってひとつの現象としての本が立ち現れるように思います。

自分の人生を物語化するのは苦手ですが、そのときの自分の感情のゆらぎを第三者的に眺めようとすることはとても好きです。自分の体験をごく個人的な、かつ普遍的なものとして書くことができたら、誰かの人生と共鳴する瞬間があるのではないかと思うからです。

『旅の心を取り戻す』の刊行直後、「本はボトルレターのようなもの」と話してくれたひとがいました。本をうねる世界に託して、どこかで誰かが、もしかしたらわたしの死後に次の世代のひとが拾ってくれる奇跡に賭ける。あらためてそのことを思います。本を出したいま、それがいったい自分にとってなんなのか、わからないことが多いからです。そもそも本がボトルレターなのだとしたら、自分にわかることはほとんどないままなのかもしれません。

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「マタニティ・ブルー」

いまこれを書いているのは夏の終わりの夜明け前。4時17分。

見知らぬ女に追われて白い小さな部屋に入ったら、扉の隙間から剃刀がぬっと入ってきて傷つけられそうになった。ところで目が覚めた。ときどき、こんなふうに追われる夢を見る。あわや、というところで目が覚めて、夢の続きを見ないように暗いトイレに立つ。

この本の刊行が決まったとき、心からうれしかった。

七月堂の奥にあるちいさな部屋で本の構想について話しているあいだ、一編ずつ印刷した原稿を読んでもらうあいだ、本について話をかわしているあいだ、何時間ものあいだずっと緊張していた。緊張が極まると頭の前の方がじりじりと熱を持ち、次第に思考が白く覆われそうになるのでそのたびにぐっとこらえた。こういうとき、見えないはずの脳がこわばるのをありありと感じる気がするから不思議だ。

七月堂をあとにしたあと、とりあえず落ち着こうと思って経堂駅前のデニーズへ入った。バニラアイスがのったパンケーキを食べた。本が出る。自分の言葉を受け止めてもらえる場所があった。興奮で頭は割れそうに冴えているのにそのとき考えていた具体的なことはいまは何も覚えていない。ただうれしくて、静かに興奮していた。

そしていまは8月の終わり。ここまで書いているあいだに、夜が白んできた。寝室の隣にあるベランダで壁にもたれて座りながらこれを書いている。さっきまで空の下の方に横たわっていたオリオン座は朝に溶けて見えなくなった。月はわたしの真上。白く明るく光っている。ベランダに敷かれていた白い光の帯は消えてしまった。鳥が鳴き始める。

はじめは、希望がただ広がっていた。自分のノートや携帯のメモに書きつけた言葉のかけらが一冊の本になること。いろんなひとと協同して届けていくこと。まだ知らぬ誰かの手元へ本が届けられる日のこと。本を出すことになったらそれが世に届けられるあいだは、日々の孤独や悲しみや絶望は多少なりとも薄れるのだと思っていた。でもそれは違った。本を出すという喜びの時間のなかでも、怖れや不安はその形のままただ喜びの水のなかに沈んでいるのだった。

女の追跡を逃れ、夢から目を覚ましたわたしの体は、朝起きるときのように熱を持っていた。こういうときはしばらく眠れない。汗ばんだ体を覆う布団をはぎ、自分の心につきまとうこの不安感や不全感はなんなんだろうと考えた。マタニティ・ブルー。それはわたしが体験しないで過ぎ去ったもの。この本を作る時間はどうしても妊娠から出産というメタファーが頭から離れなかった。自分が経験したくともできなかった、子を宿すということを、いまは別の形で体験しようとしているのだろうか。そう考えたとき帰路を急ぐひとたちで混み合う東戸塚駅でひとり立ち止まってしまったのだった。

いま、あのときのことを思い出す。悔い。悲しみ。喜び。寂しさ。絶望のような。自分の感情はいつも重なり、混ざりあっている。仄暗く、見つめるのに勇気が出ない瞬間がある。いまもそうだ。逃げて逃げて逃げて、たどりついた小さな白い部屋でわたしは何かを恐れていて、夢の続きを見ないように目をひらきながら夜が明けるのをベッドのなかで待っている。

『旅の心を取り戻す』という本は自分にとっていったいなんなのか。わたしにその意味がはっきりわかるのはいまが過ぎたあと、この旅が過去のものになったときだろう。夜が明けても晴れない心があり、足元に落ちた小さな破片を踏みながらなんとかしてたどりついた先がなんであるのか、いまのわたしにはわからない。

ささやかな挫折に大きく傷ついてしまうことに傷ついて、いま目の前にひらかれている旅路を閉ざしてしまいたくなる。すこしずつ傾いていく生のなかで、自分にできることは何か。わたしをときどき見失う。日中はまだまだ外が暑くてたくさん歩くような旅には出られないから、朝が訪れたら燃やすごみを出しに行こうと思う。

この本を愛している。5時21分。

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