#04 祖父母の家への旅

散歩は推しとの出会いにあふれている/祖父母の家への旅
柊有花 2023.04.25
誰でも

こんにちは。こんばんは。
柊有花です。

あれこれ書きたいことが浮かんできて今日も手紙を書いています。
急に冷えてきましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

散歩をしていると、鳥が鳴く声や季節の植物ひとつひとつにピントがあってきます。

絵に描いた花を見つけたり、ごはんでくちばしが緑にぬれたヒヨドリと目があったり、小さな野草たちのたくましくかわいらしい姿にどきっとしたり、大木の枝を走るリスの姿を見かけたり、さまざまな出会いがあります。

このあいだ夫と話していて、散歩での植物との出会いはわたしにとって推しと対面しているのと同じだと口にして、自分で話しながら「ああたしかにそうだ!」と思いました。植物の絵を描くようになってから、その感覚は日増しにつよくなっているように思います。

わたしの家は鎌倉の山が近く、散歩には事欠きません。前の家は二子玉川のすぐ近くにあったのですが、山へ行くのは日常ではありませんでした。そのときは多摩川の河川敷を散歩するのが日々のルーティーンだったように思います。

いまの家に引っ越して2年ほどがたち、家のある環境––自然や、ひとや、時間に、自分の感覚がすこしずつ影響されているような気がします。いままであたりまえのように考えていたことがすこしずつ変わっていって、人生観そのものもゆるやかに変化していくような。その要素はたぶん自分のなかにあったもののようにも思いますが、住んでいる環境に後押しされて、その小さな芽がだんだん大きく成長してきたような、そんなことをあらためて感じています。

大事だなと思うことも変化していきます。これはほんとうに大事なことなのか?と揺らぐとき、不安になったり、戸惑ったりもします。いまの自分にとって大事なものはなんだろう?と、あらためて考えさせられる時間、そんな時間がまさにいま流れているように思います。

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祖父母の家への旅

先日、祖父母の家のある場所へ行きました。もともと、用事があって近くまで行っていたので、ついでに行けるんじゃないか?と思い至ったのですが、いつも車で行っていた場所だったので、一人で電車で行けるのかなあ?と考えていたら、住所がぽわんと浮かんできて、ああこれは行くしかないと思いました。

住所を調べたら、その日はよく晴れた日なのにそこだけ雨が降っていて。傘も持ってなかったのでどうしよう、と思ったのですが、でもやっぱりとりあえず行ってみて考えよう、と電車に乗り込みました。

20分ほどで目的の駅に着きました。小高い丘にある駅からは光をたたえたたくさんの家が見えました。なんてうつくしい場所なんだろう、そう思いました。雨はやんでいて、晴れていました。

川を越えてしばらくすると、思い出した住所のとおりに家はあり、たくさんの植栽が家のまわりをやわらかく包んでいるのが見えました。つばきやもみじ、たくさんの木々が並び、青々と茂っています。植物や家のなかに亡くなった祖父母の気配が宿っているように感じられてしばらくぼんやりしてしまいました。

家の近くの公園には大きな桜の木があります。わたしが訪れたときには花はすべて咲き終え、つやつやとした薄緑の葉が枝いっぱいに生え、ゆらゆらと揺れていました。この桜を祖父母も眺めていたのだろうと思いました。

こんなふうに祖父母のことを思い出し、考えるようになったのは絵を仕事にするようになってからです。かかわりのあったひとの足跡のなかに何か制作のヒントがあるような、不思議な確信があって、いろいろなことが気になり、無性にたしかめたくなるのです。

自分の指針は自分のなかにある。そんなことを最近よく思います。過去のことを紐解きながら、自分にとっての大事なことは何なのかをもう一度考えていけたらいいなあと思います。

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