#07 イタリアへの旅

生きる理由/運命と思い込み/イタリア
柊有花 2023.10.10
誰でも

こんにちは。こんばんは。イラストレーターで詩人の柊有花です。

なんのために生きているんだろう?とときどき思います。今日はトイレに入っているときにとつぜんその問いが頭をかすめて、なぜわたしはこの答えの出ない問いを折に触れて考え続けているんだろうと思いました。

仕事へ出かける夫に、わたしはなんのために生きているんだろう?と聞いたら、一緒に楽しいことをするためだよと返事が返ってきました。仕事で留守がちな夫よ、夫がいなくなったらわたしには生きていく理由がなくなるではないか。

けれど、そういう誰かの言葉に思考を休める時間をもらいながら、なんのために生きているんだろう?という問いについてずっと考えていくように思います。人生はずっと孤独とともにある。

イタリアへの旅

8月にコロナにかかってから半月たったいまも外へ出ることやひとと会うことがなんとなく億劫です。コロナ発症時に熱は39℃近く上がり、一度下がってもまた上がって、薬を飲んでもそんな調子だから、熱由来のだるさがずっと抜けませんでした。

熱が落ち着いたあとも咳は収まらず、感染リスク期間はとうに過ぎてはいてもこんな感じだったら誰かと会ってもいやな気持ちにさせるだけだし、飲食店へ行っても急にむせたりしたらなんとなくいづらいなあと思って家で過ごしていました。

ときどき行くのは近所のコンビニくらい。それでもひさしぶりにコンビニまで5分歩いたときはちょっと感動しました。家のなかの時間が止まっているあいだにあんなににぎやかだった蝉の声が消え、季節が秋になっていることに驚きました。

季節の変わり目をはっきり目撃してしまって、夏の山に行けなかったことやプールで泳げなかったことをちょっとだけ残念に思いましたし、言葉で何を書きたいのかが秋の到来とともに新しく生まれ直したような気がして、こうして言葉を書いていても、どこか遠いできごとのことのような、白く新しい世界が広がっているのを立ち尽くして眺めているようです。近づいたら遠のいて、また近づいて遠のく、それは臆病になるにはじゅうぶんな距離です。

イタリアに行こうかなと思い始めたのは絵がきっかけでした。ボローニャの絵本原画展に作品を出したいなと思ったのです。コンペの告知が出るのはいつだろうと思いながら(たぶん10月らしいのですが)、自分のなかではなぜかイタリアに行くことはなんとなく決まっていました。決まっていたっていったって別に何か準備していたわけじゃなくて、言葉も、イタリアのことも、なんにも調べることなく、「行くんだろうなあ」と決めていただけでした。

そういう、よくわからない自分内決定事項によって実際の行動へと突き進んでいくことってあって、もしかしたらそれを運命、と言ったりするのかもしれないけど、そんなかっこいいことでもなくて、単に思い込みによってエネルギーがチャージされていく感じに近いです。

運命、いや、思い込みが高じて、ボローニャの出版社の方とお話しする機会に恵まれたり、イタリアの絵本をあつかう奈良のお店のオーナーさんとご縁ができたり、星を一粒ずつ集めるように、イタリアへ行くんだなあという気持ちがだんだん星座のように形を成してきて、ああ、イタリア、行きたいと口にしたら、その声の波紋が広がって、さらにひととつながり、気がついたら地元の本屋でるるぶを買っていました。ひさしぶりに買いました、るるぶ。行くのかわからないけど、思い込みの力でどう進んでいくのか、楽しみでもあります。

自分のなかに旅の心を取り戻す。そのことが頭のなかに響いています。

と、ここまで半月前に書いて出せなかったレター。いまはもう秋が深まり、カフェの窓際でぬくぬくコーヒーを飲んでいるところです。まだまだ日差しがまぶしい。時間差で届く手紙もまたいいですね。早く出したいので今日は音声の配信はおやすみ。

また書きます。

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